学校の歴史
Chapter17

学園紹介Guide

2001~2005(平成13~17年)

新制服へ切り替え

2001年(平成13年)4月、制服検討委員会で約2年間検討されてきた新制服について、中1・高1は全員、他学年は任意での着用が始まった。新制服は、イタリア・ミラノのデザイナー、クリスティーナ・ファイニのデザインによるもので、ブレザーにチェックのスカートを組み合わせた活動的なものである。ニットと合わせてバリエーションの豊富な点が特徴で、戦時中の暫定期を含め昭和7年から約70年間続いた紺色イタリアンカラーの旧制服から大きく変わった。バッグ・コート・靴なども同時に改正。

新校舎の完成

工事前の旧校舎

2002年2月末、地上7階・地下1階の斬新な新校舎教室棟が完成。4月より新校舎に移行し、旧校舎の取り壊しとメディアモール棟の建設が始まった。

教室棟には、33の普通教室、理科・芸術・家庭科の特別教室、LL教室、視聴覚教室、生徒会室、保健室などのほか、石庭付き35畳の作法室が整った。7階にはスカイスタジオというガラスの壁面に囲まれた明るい多目的ホールが作られた。1階には120席のカフェテリアがあり、全国初の試みであるコンビニエンスストアが入った。

新校舎の外観

2003年7月、地上2階・地下1階のメディアモール棟(大築アリーナ・温水プール・マルチメディアラウンジ・図書室・屋上校庭)が完成し、9月より新校舎が全面的に利用されることになった。9月12日の創立記念日には、新校舎落成の記念式典と祝賀会が大築アリーナで盛大に挙行された。

新教育ビジョンの決定と「みらい科」の実施

2001年2月、新教育ビジョンとして「豊かな人生を自らデザインできる”自立した女性”を育てる」を決定。

新校舎・新制服と共に21世紀にふさわしい新しい教育内容を検討するため、2000年7月に学校改革についてのプロジェクト委員会が発足し、9月より全教職員への面接アンケート、保護者へのアンケートが実施された。

11月に「教育ビジョン検討のための一次案」として提案され、教職員による審議を経て決定された。新教育ビジョンは、21世紀に向かって学園として育てたい女性像をまとめたものである。

2001年7月からは、新教育ビジョンの具体化として、プロジェクト委員会を中心にロングホームルームプログラムの検討に着手、2002年3月に中学校ホームルーム用の「マイライフ・デザイン・プログラム」(愛称:みらい科)をまとめ、4月より中学校全学年で実施した。

その後、高校のプログラムに着手し、2003年4月から高校の「みらい科」が学年進行で高1から実施された

新教育課程の実施

「五日制」の実施と「総合的な学習の時間」を特徴とする新教育課程が、2002年度から中学校で、2003年度から高等学校で導入されることに伴い、2000年3月に新教育課程検討委員会が発足した。

2001年4月、新教育課程検討委員会は、中学校新教育課程について、①当面の「六日制」実施、②「4カ年+2カ年」の中高一貫教育の実施、③「総合的な学習の時間」は英会話とコンピュータの授業を各学年で週1時間ずつ実施、という3点を決定。また、情操教育の一環として、2001年度の中学1年生から、道徳の時間に隔週で華道・茶道の授業を実施。1年生から2年生の9月までは華道、2年生の10月からは茶道を学習することになった。

2002年4月、中学校全学年で、2003年4月、高等学校1年からの学年進行で新教育課程が実施された。本学園高等学校では、「総合的な学習の時間」について、高1の合宿オリエンテーションを「総合オリエンテーション」と改めて教科横断的な体験学習を行うとともに、高3で従来の選択講座を発展させた2単位分の「総合講座」を実施することになった。また、3年生については「五日制」とし、土曜日は「10アップゼミ」など受験生を対象とした土曜講座が設けられた。

海外修学旅行の実施

シドニー修学旅行

英語進学コース発足に伴い、2000年1月に修学旅行委員会が発足し、高校海外修学旅行の検討が始まった。

2001年11月、初めての海外修学旅行として、高2のシンガポールへの修学旅行が予定されたが、9月11日のアメリカ同時多発テロの影響で中止になった。この旅行は、翌年2月に広島・神戸・USJに行き先を変えて実施された。

2002年11月、高2がオーストラリアのシドニーへ、5泊6日の日程で初めての海外修学旅行に出発した。英語コースはベサニーカレッジという女子校を訪問した。

水谷弘が第11代校長に就任

2004年4月、馬場信房校長が勇退し、水谷弘が校長に就任。馬場校長は5年間校長として本校の教育に尽力した。水谷新校長は、都立新宿高校等の校長を歴任し、第11代校長として本校に就任した。

水谷校長による学校改革

水谷校長は進学実績の向上と中高完全6カ年一貫教育の実現を目標に掲げ、授業の改善、授業時数の確保などに精力的な取り組みを始めた。

2004年11月、全校生徒による授業評価を実施。また、2005年度に向けて、高校教育課程の一部(受験学習を考慮して理科・社会の科目編成を手直し)を変更し、中高全教科の詳細なシラバスを作成した。

2005年4月、読書習慣を高めるため、全校で「朝の10分間読書」を実施。このため、毎授業の時間帯を10分間繰り下げる。また、授業時間確保のため、2学期の始業式を9月1日に繰り上げ(従来は9月5日)、1学期末の三者面談を終業式後に移動した。

進学指導充実のため、大学の入試担当者を招いて、生徒・保護者対象の進学フェアを実施し、春期および夏期講習を中高の全学年に拡大した。さらに、従来中学で実施されてきた習熟度別授業を高1の英語・数学・古典に拡大し、高校で実施されてきた成績上位クラスを中1にも拡大。

2006年度に向けては、中学入試に2科目・4科目選択制を導入し、中高一貫6カ年教育プログラムの作成にも着手した。

ソフトテニス部、団体戦でインターハイに出場

インターハイに出場したソフトテニス部

2005年6月、ソフトテニス部がインターハイ団体東京都予選で優勝し、8月に千葉県白子町で行われたインターハイに東京都代表として出場した。

ソフトテニス部は、過去に関東大会出場団体6回・個人11回、全国大会出場個人3回の実績を誇るが、全国大会団体戦出場には「東京都団体優勝」という壁が立ちはだかっていた。麴町は東京都予選の決勝で敗れること13回。

今回は決勝戦で13年連続優勝を誇る文化女子大付属杉並高校を破っての優勝で、悲願達成となった。

百周年記念行事

2005年度は、百周年を記念して様々な行事が行われた。

百周年記念の音楽鑑賞会(東京芸術劇場)

4月26日、東京芸術劇場で行われた音楽鑑賞会で、音楽を学んでいる高校生全員約200名が舞台に上がり、オーケストラの演奏でエルガー作曲の「威風堂々」を歌い上げた。

6月27日、東京体育館で行われた体育祭では、昔懐かしい「麴町音頭」が再現され、この日のために練習を重ねてきた約90名の生徒と教職員・同窓生が浴衣姿で踊りを披露した。

百周年記念学園祭

10月1日・2日は学園祭。百周年を記念した企画が数多く盛り込まれた。生徒会の呼びかけによるキャンパスソングの作成。戦前の羽根ゲームを再現したクラス対抗戦、「十年後の私」というテーマの全校生徒寄せ書きを埋め込んだ「100th – Anniversary Kojimachi Gakuen」のモニュメントなど。そして中心は「百周年委員会」による「麴町ヒストリー」の展示であった。学園の歴史、歴代の制服、旧校舎の模型などを展示したが、旧校舎の模型は昭和初期の「風見鶏の校舎」と5年前まで使われていた「かまぼこ屋根の校舎」を精巧に再現してみせた。

式典後の11月25日には、校長先生の提唱による合唱祭が、クラス別全員参加の合唱コンクールとして行われた。

コンクールは、課題曲のキャンパスソング「麴町物語」と各クラスが選んだ自由曲の両方を併せて進められた。

結果発表の前にコーラス部および審査の先生方の演奏があり、最後は課題曲「麴町物語」の全員合唱で大いに盛り上がった。